いつもブログをご覧頂きありがとうございます。
先日、自分が出場したプロフェッショナル修斗公式戦沖縄大会の結果をお知らせいたします。
結果は何とか判定勝利という形で勝利する事が出来ました。
今回の記事はとても長文となるのですが、この試合までの自分のヒストリーや思い、赤裸々な自分を書きましたので、興味がない方はサクサクっと流して読んで頂いてもOKです(笑)
でも、今回改めて自分が思ったのは、修斗って最高だな、と。
総合格闘技の修斗をやっていなかったら今の自分は本当に無かったんだと試合を終えて改めて思いました。
いうなれば、自分の原点を取り戻せた気がしました。
そんな自分のヒストリーをブログに書く事で、自分の人間性も皆さんに届けやすいと思い書きました。
長文なのと、自分の事を書くので興味ない方は本当スルーしちゃって下さい(笑)
浅利選手、総合格闘技道場BURSTの皆さんに感謝
14年ぶりで、とても久しぶりの試合でしたが、こんな自分の対戦を受けて下さった
総合格闘技道場BURST所属の浅利選手、本当にありがとうございます。
総合格闘技道場BURSTの佐々木代表含め、皆さまの人柄や熱い思いなどに触れる事が出来て本当に良かったです。
試合後に何故か浅利選手のジムの佐々木代表に抱きついてしまいました(笑)
浅利選手のセコンドについていたフジメグさんにも素晴らしい写真を撮って頂きました。
自分が敵にも関わらず、このように受け止めて頂いたのは初めてで、総合格闘技道場BURSTの佐々木代表はじめ、フジメグさんや仲間の皆さんの温かさと熱い気持ちがあったからこそ、この試合をする事が出来たのだと感じました。
また、浅利選手もこの試合にかける思いや意気込みがあった事を知り、熱い試合をする事が出来ました。
自分は対戦相手のSNSはなるべく試合前は見ないようにしていたので、浅利選手の思いを試合後に知る事が出来たのですが
浅利選手が今回の試合を受けて下さった経緯はこちらからご覧ください。
https://www.facebook.com/shinji.sasaki.754/posts/2271800039609785
今回の試合は、14年ぶりという自分の試合を受けて下さる方はいるのだろうか?
という自分の思いもあったのですが、浅利選手がこのように受け止めて下さった事でこの試合をする事が出来ました。
浅利選手と試合が出来て本当に良かったです。
浅利選手、総合格闘技BURSTの皆さま、本当にありがとうございます。
自分が修斗に復帰しようと思った経緯
今回自分が14年ぶりに復帰しようと思った経緯はリバーサルジム東京スタンドアウト所属の木暮聡選手が作成してくれたので、動画で分かりやすくなってます。
木暮聡選手のSNSはこちらです→@reversal_mma
自分が14年ぶりに復帰しようと思った経緯はこちらからご覧ください。
動画の内容をより詳しく書きましたので、時間がある方はお読みください。
自分は14年前のデビュー戦で対戦相手の踵が目にヒットして、目の見え方が悪くなりました。
右目の見え方がボヤがかかるような感じで違和感を感じましたが、眼科に行って網膜剥離と診断をされたら新人王トーナメントでせっかく勝ったのに無くなってしまうと思い誰にも打ち明けられず、または病院にも行かずに逃げていました。
それで、練習を重ね、試合をしていき新人王トーナメント決勝戦で敗北して緊張の糸がふっと切れ、初めて眼科に行きました。
自分としては、網膜剥離か何かしら目はヤバい状態だろうと覚悟してましたが、行った眼科で即入院、即手術が必要と言われ入院し、検査を行い、手術を行いました。
1回目の手術は12月でした。
自分では、手術して治ればまた復帰しよう!
と思っていたので、この時はまだ復帰する気マンマンでした。
しかし、手術して1ヶ月経った時に病院で検査をすると、また剥がれているとの事。
さすがにこの時は萎えました。
それでも剥がれていれば再度手術するしかないので、再手術。
この時は1月です。
ここから月日は流れ、丁度柔道整復師の国家試験が3月にあるので、練習出来ない代わりに勉強を何とか頑張って国家試験に合格するも。
3月に病院で検査をすると、また剥がれている。。
もう、自分は復帰できないんだと心が折れました。
3度目の手術をして、国家試験に合格もしたのでそのまま修斗を引退して、仕事をしようと思い整骨院で働きはじめました。
整骨院で勤務して、今の嫁と出会い結婚して、子供も出来ました。
男の子が出来たら自分の中では修斗という名前をつける事は決定していたので、迷わず修斗と名付けました^ー^
すると、鶴屋先生から自分の息子にキッズ柔術着をプレゼントして頂き、息子が年中になった時にパラエストラCNWに通い始めました。
その時点では、自分は復帰しようとは微塵も思っていませんでした。
息子が練習している時に、ついつい自分ならこう動くのに、という考えや思いを息子に口を挟んだり、押し付けていたのを鶴屋先生に怒られました。
鶴屋先生からは、子供にいうのであれば外野からでなくキッズの指導補佐として教えながらやれ、と言われてキッズ柔術に行ける時は全体を教えながら息子にも教えていました。
息子は柔術だけでなくレスリングも一緒にパラエストラでやりましたが、息子にとってはとてもしんどく大変だったと思います。
レスリングは息子が嫌いになって、柔術なら練習したいという事でレスリングの練習を減らして柔術の練習にはしっかりと行くようにしてました。
しかし、この時は息子に自分の夢を押し付けていただけで、嫌々通わせていただけだと思います。
これではいけないと思い、嫁と話し合って練習に行く量を全体で減らして行って息子が遊ぶ時間も作り、ゆっくりと見守ろうという事にしました。
その中で、扇久保がキッズ柔術の指導に入ることが多かった時期がありました。
息子が扇久保を大好きな先生として見るようになり、扇久保がその時にキッズ空手とキックボクシングを始めたので、息子が空手に通いたい、習いたいと言いました。
今まで息子に強引に自分の夢を押し付けていたので、息子の口から習いたいという言葉を聞いた時にとても嬉しく思ったのを鮮明に覚えています。
空手を習い始めて、扇久保が試合をするとの事で息子が見に行きたいと言ったので家族全員で応援に行きました。
自分も引退してから初めての総合格闘技の試合を見に行きました。
この時息子が扇久保博正という選手に憧れを抱き、学校で将来の夢はプロ修斗の世界チャンピオンになる事という発表をしていました。
この作文を見た時は本当に嬉しく泣きそうになりました。というより泣いちゃいました。
空手とキックボクシングは、息子が自分から習いたいと言っていたからか、上達も早く自分も空手の動きやキックボクシングの動きを勉強しながら息子と一緒に学んで行きました。
月日は流れて行き、息子が空手やキックボクシングの試合に出るようになり1試合1試合勝って行く姿を見て息子も緊張感がある中で試合をしてとても逞しく思えました。
そういう風に思っていた今年の7月に鶴屋先生と食事している時に
「今年の11月に松根のところで試合があるから出ろ」
と言われました。
自分は正直、冗談だろう。
と思っていました。
鶴屋先生から続けて、「今すぐ松根に電話して試合に出たいと言ってこい」と言われ自分もとりあえず松根さんに電話しました。
多分この時、松根さんも冗談だろうと聞き流していたはずです(笑)
でも、自分の中では松根さんに電話をしてから色々な事を考えました。
- 14年前の試合を最後にろくに挨拶もせずに道場を辞めて行った事
- 自分の中で格闘技と向き合えずに逃げている自分
- 息子がプロになりたいと言って一生懸命頑張っているのに、自分は口だけになっている
などなど。
今ここでこのチャンスを逃したら自分にも、鶴屋先生にも、子供にも一生向き合えなくなる。
自分の中で、自分が復帰しようと練習をして試合をする事によって、より多くの経験を修斗に伝えられるのでは無いか?
と思い、鶴屋先生や松根さんが冗談と思って試合が現実に組まれなくても練習をしていつでも復帰できるようにしよう!と決意しました。
修斗を引退してから、気持ち的にもやさぐれてタバコをずっと14年間吸っていましたが
松根さんに電話をした翌日から禁煙をして練習にも週に最低でも2回、多くて3回プロ練に参加し始めました。
松根さんは電話で8月にパラエストラの沖縄合宿があるからそこで話をしよう。
という事だったので、自分は当時65キロで戦っていたのですが、本気で試合に出るという事を松根さんに伝えたくて、8月の沖縄合宿までに65キロに減量して、さらに復帰戦はバンタム級(61.2キロ)で出る意思を伝えようと練習してました。
そして8月の沖縄合宿にて松根さんと会って話をしたのですが
やはり、松根さんも本気で試合をするの?という感じでした(笑)
松根さんと会話をしていく内に、家族で松根さんと会話をしていたのですが
松根さんが修斗に
「パパの試合見て見たいか?」
と聞き、修斗も
「見て見たい」
という流れになり、松根さんも本格的に試合を組んでくれるという事で試合が決まって行きました。
体重も72キロから65キロまで順調に落ちて行きましたので、バンタム級で試合をするという事で決定しました。
練習の中での葛藤
私が本格的に総合格闘技の練習を再開したのが7月末からでしたが、その練習をして頂いたパラエストラCNWの皆さまのおかげで勝利を掴む事が出来ました。
パラエストラCNWの皆さまありがとうございます。
パラエストラCNWは代表の鶴屋先生の元、国内でプロの格闘家を30名以上輩出しており
過去も今も含め、世界チャンピオンを松根さん、扇久保選手、内藤選手、岡田選手と数多くのチャンピオンがいる道場です。
このような環境で、とても質が高い練習を出来て本当に良かったです。
7月末から総合格闘技の練習を再開したのですが、実にこれも14年ぶり。
14年ぶりに現役のプロの選手と練習をするのは、希望と挫折を味わいました。
その理由も
- 自分のスタミナの無さ
- 14年前と現在の総合格闘技の違い
- 思うように体が動かないもどかしさ
ただ、14年ぶりなのでしょうがないと思いつつも何とかくらいついていこうと練習を続けて行きました。
7月末から8月頭にかけては練習の後は強烈な筋肉痛に襲われてました(笑)
総合格闘技の練習は想像以上に体に負担がかかるものなんだという事も実感しましたが、徐々に体が慣れていき練習でも動けるようになってきました。
しかし、油断ではないですが体が慣れてくると今度は細かい怪我もするようになってきました。
怪我をすると、全力で練習出来ないのでとても焦る時期もありました。
練習を出来る範囲でやっていこうと思い、ランンングや筋トレなどを行いましたが、それが功を奏して失われていた体力や筋力なども少しづつ戻ってきたので、今思うと良かったんだなと思います。
14年前は20歳の頃なので練習で追い込んでも1日経てば体がすぐに回復する感じでしたが、さすがに34歳になってそれが出来なくなるのは当然です。
でも自分では昔と違う自分にショックを受けていたのですが、8月の沖縄合宿で松根さんに練習方法を相談した時に松根さんから、「14年前と同じようにやってたら怪我するぞ」と当たり前のように言われ、自分自身で「そりゃそうだな」と思い気持ちが落ち着きました。
周りの方に助けられながら練習を続けていくと、やはり課題も沢山見つかります。
14年前と現在のMMAの違いに対応していくことや、闘い方の流れなどを知る事からはじめました。
特に
- スクランブルでの攻防
- タックルで倒してもポイントにならない
- 打撃の重要性
この3つは昔と違う部分でしたので、頭ではこの違いを理解しているつもりでも実際に出来ていない状態でした。
今、試合を振り返ると全然ダメな部分が多くて反省点が多くあるので、そこも修正していかないといけないな〜と改めて思いました。
でも、パラエストラCNWで凄いプロの方々が多くいる練習環境で追い込めた事は自分の中で自信に繋がる部分が大きく、試合に臨めたのも良かったと思います。
不安な点は練習を積み重ねて解消していくしか無いと思っているので、素晴らしい環境で練習が出来て良かったです。
改めてパラエストラCNWの皆さんありがとうございます。
階級を下げた理由と減量について
14年前は当時ライト級(65キロ)で闘っていました。
14年ぶりに復帰しようと決意した時から8月の沖縄合宿で松根さんに会うまで、今のフェザー級で闘うか?それとも1つ下げてバンタム級で闘うか?非常に悩みました。
悩む理由も一杯あったのですが、結論として
確実に14年前より筋力が落ちているのでフェザー級だとパワー負けが凄いのでは無いかと思ったので、バンタム級に下げることにしました。
ただ、通常体重が72キロ前後なのと、昔は水抜きという減量方法が無く今までの減量方法では無い形で減量をしていくのに不安がありました。
周りの方に聞くと水抜きがあるので余裕ですよ、と言って頂いていたのですが不安だったので8月末には64キロまで落ちて、早めに減量しすぎてしまいました。
でも、そこから食べれる余裕が出来たので精神的に楽に過ごせる事が出来ました。
この減量で難なく落とせる事が出来たのは、栄養バランスも考えながら料理を出してくれた嫁がいたからこそです。
減量中だと、自分もピリピリしてしまう時もあったので嫁も大変だったと思います。
それでも出す料理を考えながら、飽きが来ないように工夫して作ってくれていたので今日の夜ご飯は何だろうと、楽しみながら減量が出来ました。
ただ最後の水抜きが意外にキツくて心が折れそうになるも、何とか水抜きで3キロ落として無事に軽量がクリアになり、一安心しました^^
計量が終わり、今度はリカバリーです。
水抜きも初めてでしたが、リカバリーも初めてです。
水抜き、リカバリーに関しては扇久保が最初から最後まで徹底的にサポートしてくれて本当に助かりました。
水抜きはこうした方が良い、リカバリーはこの手順でこうした方が良い。
または、この場合はこういうのをした方が良いなど。
何から何までサポートしてくれて、順調にリカバリーできました。
当日の夜には6Kgリカバリー出来て、翌日の朝ごはん後には68Kgになり、そこからは軽食と消化の早くエネルギーに変わるものをこまめに摂取して、試合を迎える事が出来ました。
扇久保がいなければ、ここまで順調に減量もリカバリーも上手くいかなかったと思います。
ちなみに今現在は73Kgまで復元しました(笑)
本当に扇久保には感謝しかないです。
こういった経験も息子の修斗に伝えられるので良い経験をさせてもらいました。
現役続行への思い
試合後のマイクで最後、来年も現役を続行する意思を言いました。
これは、様々な思いがあり決意をしました。
自分が総合格闘技の試合から14年空いての復帰戦が、松根さんが開催する沖縄の大会という事も自分の中ではとても感慨深いものがありました。
この試合を組んで下さった、鶴屋先生、松根さん、感謝という言葉しかありません。
試合に勝てて鶴屋先生と松根さんでこうして写真を撮る事が出来て本当に良かったです。
今回の試合限りで、自分も今後試合をするつもりは最初はありませんでした。
今回の試合が決まり、練習に行き、摂生をし、規則正しい生活を送っていくと不思議な事に格闘技だけでなく日常生活にもメリハリが生まれて物事が何かスムーズに流れていく感覚が出てきたんです。
西岡頭がおかしくなったんじゃ無いか?
と思われるかもしれませんが、本当に今回の試合に向けてタバコもやめて摂生していくと、人生の流れが変わったというか、何というか。。
言葉に出来ない感じなのですが、物事がいつもと違う感じで良い方向に行っているんです。
そんな感覚があって、試合は今回限りだけど練習は継続していこうと思い始めました。
そして計量の日に鶴屋先生に一言言われました。
「やるんだったら覚悟決めろ」
自分の中で今回の試合は、今回のみというある意味その日限りのお祭りみたいな感覚がパッと消え去りました。
続けて鶴屋先生は
「やるんだったらチャンピオンになるぐらい目指せ」
と冗談交じりで仰って下さいました。
鶴屋先生は時折、冗談なのか本気なのか判断がつかないのですが、最初の
「やるんだったら覚悟決めろ」
という言葉に、自分の中では今回限りの試合という感覚というより、この試合は必ず勝ちに行くんだ!
という気持ちを強く持てました。
そんなこんなで試合の日を迎えるのですが、やはり試合前は緊張マックスですね。。。
様々な葛藤が頭の中をよぎります。
- 何で試合を受けてしまったんだろう
- 息子の修斗にかっこいい姿を見せたい
- 嫁にもかっこいい姿を見せたい
- 鶴屋先生や松根さんに勝って恩返ししたい
- 目を怪我したらどうしよう
- 負けたくない
- 対戦相手がめちゃくちゃ打撃強かったら嫌だな
- スタミナ持つかな
- この場が早く終わらないかな
- などなど
おそらくその場ではもっと多くの葛藤がありました。
しかし、試合前に鶴屋先生にミットを持って頂いてアップをしたのですが
「お前凄いパンチが固くて痛いな、いいね」
と持ち上げてくれて、自分の中で鶴屋先生に褒められた記憶があまり無かったのでとても嬉しく自信がつきました。
様々な葛藤があっても試合が始まれば後はやるのみです。
試合も何とか勝つ事が出来ました。
格闘技は、試合前の緊張感を乗り越えて勝ち名乗りを受ける瞬間の感動と感覚は特殊なもので、日常生活や仕事などでは決して味わえない中毒性のある感覚です。
勝ち名乗りを受けた瞬間崩れ落ちてしまいましたが、14年ぶりの勝利の感覚はすべての恐怖と不安を一瞬で掻き消してくれる素晴らしい感覚です。
この感覚を14年ぶりに味わって、自分はまたこのリングに上がりたいと素直に思いました。
反省点が多い試合でしたが、試合後にマイクがあると思わなかったのでとりあえず自分の思いを率直に伝えさせて頂きました。
そのマイクで今回復帰しようと思ったきっかけを与えてくれた息子の修斗をリングに呼んで息子を見ると、涙を流していました。
自分はそれを見て、自分が更に泣いちゃいました。
息子の修斗が何かを感じ取ってくれたのなら、自分もリングに上がり続けられる内に試合に出続けて息子に少しでもプラスになるようになれればと思いました。
試合自体はまだまだな部分が多いですが
鶴屋先生、松根さんにしっかりと勝利を届けられて、自分の中にあった失われていた時間が取り戻せて、子供に対して少しでも何かが伝わってくれて。
それが松根さんの興行で行えた事に本当に嬉しく思います。
修斗をやっていて本当に良かったと思います。
様々な思いが重なって、自分が今回限りでなく今後も試合に出れる内に自分の人生をやりきりたいと思い、現役続行の意思をマイクで言いました。
14年ぶりの試合が、再スタートというきっかけになりましたが、改めて応援して頂いた皆さん、対戦を受けて頂いた浅利選手とBURSTのみなさん、パラエストラCNWのみなさん、鶴屋先生、松根さん、嫁、修斗。
感謝です。
また試合をするとしたら来年になりますが、その時も全力で出し切って勝てるように練習を再開していきますので、応援宜しくお願いいたします!
余談
皆さんに髪型のことをよく聞かれるのですが
この髪型は松根さんが最初に行った、パラエストラCNWの伝統?です(笑)
このTHEという頭文字は
T:鶴屋
H:浩
E:エンターテイメント
という内容です。
松根さんから始まり、自分がやって、今は扇久保がやってます。
この髪型に整えてくれるのが松根さんの同級生の山田さんです。
山田さんはカットはもちろんですが、様々な勉強をされていて話をしていてもとても勉強になり、また心も体も楽になります!
自分も14年ぶりにカットしてもらい心身共にリフレッシュ出来ました!
ありがとうございます!
山田さんは、南行徳か新鎌ヶ谷の2つの美容院を経営していて、どちらかにいるので山田さんにカットしてもらいたい方は完全予約制なのでHPをチェックしてから電話やネット予約をしてください!
https://www.lapin-agile-somme.link
NEWS
代表の西岡の試合がYOUTUBEで見る事が出来ます。
是非ご覧ください。西岡の試合は2:41:58からスタートしてます。
https://youtu.be/q8MQ1UmTqSU
約14年ぶりの復帰となった代表西岡裕(パラエストラ千葉)復帰への軌跡のインタビュー動画です。
【診療時間】
船橋市海神の海神駅にあります、モルフォセラピー施術院であり、
スポーツ障害や体の痛みの早期回復に取り組んでいます。
毎月3・4回外部でお医者さんの勉強会に出たり、技術を高める為セミナーに参加し、日々医療の進歩と共に学びを続けております。
様々な臨床を通して培ってきた経験で、患者さんの筋骨格器系〜自律神経症状に精通している、海神駅前整骨院です。
海神駅前整骨院
住所:〒273-0021
船橋市海神6-6-12
電話番号:047-432-3680
ご予約をご希望の方はこちらをクリック⇒https://kaijin-seikotuin.com/contact/
エキテンサイト⇒http://www.ekiten.jp/shop_5487839/
instagram⇒https://instagram.com/_u/kaijin_ekimae
ライン@⇒
【注意】当日来院ご希望の方はすぐにメッセージを確認出来ない場合がありますので、当日ご来院希望の方は電話にてお願い致します。
≪船橋市内でよくご来院頂く地域≫
◎海神駅周辺地域
南本町、海神 、 海神町、海神町東、海神町西、海神町南、南海神、行田、行田町、山手
◎船橋駅周辺地域
本町、湊町、浜町、若松、日の出、西浦、栄町、潮見町 、高瀬町、東船橋、宮本、市場、夏見、夏見町、夏見台、米ケ崎町、高根町、金杉町、金杉、金杉台、緑台
◎西船駅周辺地域
西船、山野町、葛飾町、印内、印内町、本郷町、古作、東中山、古作町、古作、二子町、本中山
≪船橋市以外の地域≫
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≪その他≫
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